東京大空襲 最悪の大虐殺から70年

Hukkou Kinenkan 未分類

1945年、第二次世界大戦の中、一晩で10万人を超える死者をだした、アメリカ軍爆撃機B‐29による東京に対する大規模な焼夷弾攻撃から70年経ちました。慰霊大法要ということもあり、改めて東京都慰霊堂に行ってきました。 亡くなった方達が軍人ではなく、我々と同じ一般市民だということを考えると、とても悲しい気持ちになります。

Hukkou Kinenkan

想像を絶する空襲時の悲惨さ

わたしの祖母が東京大空襲を生き残った方だというのは以前書きました、その祖母が小さい頃の私に話してくれた、祖母が実際に見た信じられないような風景の記録を発見しました。東京都慰霊堂のある横網公園内にある復興記念館に展示された資料に、様々な当時の様子が記された記録があります。空襲によって起きた火災や、熱から避難して焼け死んでしまった方の中には、お腹が破裂して退治が剥き出しになった妊婦さんの焼けた姿もあったと記録されています。また、火に追われ、火傷を負った方たちが水を求めて次々と隅田川に身を投げ、結局川の中で息絶えてしまい、隅田川がたくさんの焼死体で埋め尽くされていたと記録されています。これらはまさに祖母がその目で実際に見た光景そのものなのです。当時20代だった祖母は今も存命なので、「よく生き残ってくれたねおばあちゃん!」と伝えたいと思います。

 

二度と繰り返さないように

人は基本、人と対立するもの、自分とは違う文化が理解できないという理由で人種差別も当然のようにあります。ですが、少しでも改善する余地があるという可能性に賭け、もっともっと英語スキルを伸ばしていこうと思います。

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